ナイトスクープ炎上から考える、“子どもの家事”と家庭の仕組み
① 炎上を見て、ふと立ち止まった
先日、Yahoo!ニュースで『探偵!ナイトスクープ』のある回が炎上しているのを見かけました。
長男が家事を担っているように見える構成が、「ヤングケアラーでは?」「親の責任放棄では?」と議論を呼んでいたようです。
私は番組を直接見たわけではありません。
ただ、ニュース記事やSNSでの反応を眺めていると、
「子どもがどこまで家事を担うべきか」というテーマが、多くの人にとって引っかかるポイントだったのが伝わってきました。
外から見える情報だけで断定することはできませんが、こうした話題に触れると、どうしても「うちの場合はどうだろう?」と考えてしまいます。
② 自分の子ども時代を思い出した
このニュースを見て、ふと自分の子ども時代を思い返しました。
- 出来高制のお手伝い
- やらないと怒られる構造
- 妹の面倒を見る役割
- 遊ぶ時間がほとんどなかった
当時は“家庭の事情”に合わせるしかなくて、「やるのが当たり前」みたいな空気の中で過ごしていたように思います。
今になって振り返ると、教育としての家事と家庭維持のための労働の境界が、けっこう曖昧だったんじゃないかなと。
③ 家庭の事情はほんとにそれぞれ
今回の炎上では、SNS上で「心配」「批判」「問題視」といった声が多かったようです。
一方で、少数ではありますが「昔はこういう家庭もあった」という意見も見かけられたようです。
家庭の事情って、本当にそれぞれ違います。
- 親の働き方
- 家族構成
- 経済状況
- 兄弟の年齢差
- 親のキャパシティ
こういう要素が絡んでくると、“お手伝い”と“労働”の境界線も家庭ごとに違ってきます。
だからこそ、「うちはどうだろう?」と考えることに意味があるんだと思います。
④ アニメに見る“境界線”の描写
昔アニメで見た「クッキングパパ」のえっちゃんのエピソードを思い出しました。
えっちゃんは、パパやママ、職場のお兄ちゃんたちに喜んでもらいたくて、毎日晩ごはんを作っていたんですよね。
でもそのせいで、友達と遊ぶ時間がなくなっていた。
それに気づいた家族や職場の大人たちは、彼女にこう伝えます。
「今しかない子どもとしての時間を大切にしなさい」
(※一語一句ではないですが、そういう趣旨のセリフでした)
この言葉、大人になってから聞くと、ほんとに刺さるんですよね。
子どもが家事をすること自体は悪くない。
でも、それが“責任”になってしまうと、子どもらしい時間がどんどん削られてしまう。
⑤ 今の自分は、子どもに“子どもの時間”を残せているだろうか
うちにも子どもが2人います。
今回の件やえっちゃんのエピソードを見て、ふと自分の家庭を振り返りました。
- 家事を教えることは教育
- 料理を一緒にするのも教育
- でも、できるようになったからといって“タスク”にしてはいけない
- 子どもには子どもの時間がある
このバランス、ちゃんと守れているかな…。
もちろん完璧じゃなくていいし、日によってブレるのも当たり前なんだけど、
ときどき立ち止まって考えることは大事だなと思いました。
⑥ 家庭の仕組み化は、“子どもの時間”を守るためでもある
私がこのブログで発信している、時短料理や効率化、家事の属人化を避ける仕組みって、単に「早く終わらせるため」じゃないんです。
家庭の中に“余白”をつくるための工夫なんですよね。
たとえば、
- 献立を固定して買い物と調理の判断を減らす
- 子どもが手伝える工程を“選べる形”で用意しておく
- 誰かが休んでも回るように、家事の手順を見える化する
こういう仕組みがあるだけで、「誰かが背負いすぎる」状態を防ぎやすくなると思っています。
その余白をどう使うかは家庭によって違うけれど、
- 子どもと話す
- 一緒に料理する
- 親が休む
- ただのんびりする
どれも大事な時間です。
今回の炎上は、
子どもに“子どもの時間”を残すってどういうことだろう?
と改めて考えるきっかけになりました。
【まとめ】
- 子どもが家事をすること自体は悪くない
- でも“責任”として背負わせてはいけない
- 家庭の事情はそれぞれ違う
- 大人が境界線を意識することが大切
- 家庭の仕組み化は、子どもの時間を守るためでもある